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[C53] 泣きそうになったよ

なんか、もうこのエントリー何度も読み返しちゃった。泣きそうなんだもん。
本当にそうだよね~。息子は、最終的には「まま、大好き」って言ってくれるもんね。多分、日頃親から理不尽だなあと思うことがあっても、最終的には甘んじて受けてるんだろうなあ。ほんと、子供は小さな神様なんだね。何度も、仕事しながら思い返しちゃった。

しかし、我が夫、今は仕事もひまなんでネット三昧なんだよ。子供んことも、とーさんほど思っているかどうか、いや思ってないような。フラットな男なので、とーさんのようなはじける人がちょっとだけうらやましい。

でも、それでもそんな夫に取っても、息子は小さな神様だと、私は思う。彼に、あんなに無邪気に接するのあの子だけだもん。ね~

かーさん、あなたもきっと一家の神様だよ。

[C54] 共感して頂けたのだね

そうなのだ。子どもほど寛大な人はいない、と常々思うよ。
もちろん、日々こまごまと注意をしたり、小言を言ったりはするんだけど、
私はこの子ほど無条件に相手を許しはしていない、という気がするよ。
恐らく成長するに伴って汚れていって、神様から普通の人間になっていくのだろうけど、
それが社会を渡っていく上では不可欠な「成長」である事は否めないよね。
残念ではある。が無菌状態では脆くて生きられないし。

とまとさんの優しい言葉、嬉しいよ。でも、私は汚れちまったから神様ぢゃあないさ。
母親の役目は汚れ役でもあるのかも、なんて思ったり。
トーサンは汚れていると言うよりは、頓着がないのでキリストっぽいのよね。
とまとさんのご主人はこざっぱりしてるじゃないのさ。羨ましいよ~!!
とまとさんと一晩語り明かせる日が来る事を目標に頑張るよ!
  • 2010-01-27 20:12
  • ノーザンカーサン
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小さな神様

小さな頃からカーサンは、一度好きだと思ったらはまり込む癖があった。
本に関してもそうで、「しずくのぼうけん」や「フライパンじいさん」、「ぼくは王さま」などは、
繰り返し何度も何度も読んだ。
4-8340-0208-X.jpg  4-251-00635-6.jpg  ehon9615.jpg

大人になった今でもその癖はそのままで、
いろんな本を読んでは見るが、やはり好きな本に結局は戻ってきてしまう。
最近の作家さんの作品は「巧い!」と唸りはするのだが、心を鷲掴みにされるような作品は少なく、
作品の世界にはまり込んで感情を打ち震わせたい!と渇望すると、
どうしても「確実に心を鷲掴みにする」作品に戻るのだ。

そんな本のひとつは遠藤周作氏の「沈黙」である。
112315.jpg


出会いは、高校時代の模擬試験だったように記憶する。
現代文の問題に引用されていたのだ。

「沈黙」は切支丹禁制時代の日本に乗り込んだポルトガル人司祭のロドリゴが、
救うべき日本人信徒達の拷問や殉教に接し、苦悩し棄教するまでを書いた作品だ。
設問に引用されていた部分は、ロドリゴがまさに踏み絵を踏む棄教の瞬間なのだが、
試験中であるにもかかわらず、この引用文は私の心を衝いた。
不勉強である私には、キリスト教とは神が絶対的な強い「父的なもの」として
信仰の対象となっており、わりと排他的な印象があって馴染めないものだった。
しかし「沈黙」の中では、イエスは弱者に寄り添い共に苦しむ存在として描かれている。
作者の遠藤周作氏自身が、自分の意思とは関係なく受洗しカトリック信者となったが、
その教えに違和感を抱き、長きに渡り苦しんだ経験を持っていて、
最終的には「寄り添う母のようなもの」という解釈を通して信仰を受け入れるに至った経緯がある。

この「弱者を見捨てない」イエスの愛の解釈は、信仰を持たない私にとっても受け入れやすく、
人生の哲学として私の心の中にある。

踏み絵の中の「あの人(イエス)」は苦しむロドリゴに「踏むがいい」と促す。
弱いもの、醜いものにも手を差し伸べ傍に寄り添う。
自分を見捨てないでいてくれるものの中に、人は安らぎを覚えるのだろう。

これが普通は、親の「子に対する愛情」と同じだと思われるのかもしれない。
しかし、子の「親に対する愛情」の方が深く寛大だ、と常々感じている。
子は親を見捨てはしない。
社長の中に小さな神様を見出す事が出来る。

感情的になってカーサンが社長を理不尽に厳しく叱りつけてしまった時。
後から自責の念に苛まれ社長に「申し訳なかった」と謝罪する時、
社長は
「いいんだよ。大丈夫大丈夫。怒るきっかけを作ったのはわたくしなのだから。」
と小さな手でカーサンの背中をさすり、頬を寄せてくる。
社長はカーサンにとっての「踏み絵の中のあの人」になっている。









20100110_04.jpg
トーサンにとっても同じである。
自称「キリスト」であるトーサンも爺臭く泥臭く、垢抜けない「弱者」である。
トーサンには鶏の「コケコッコー!」がWエンジンの「惚れてまうやろー!!」に聞こえてくるらしい。
大丈夫か。病んでいるのか。

そのトーサンにも寄り添い手を差し伸べる社長がいる。
20100120_06.jpg




ほっかむりしたトーサンを見て「わたくしも~!!」と自らほっかむり。
20100120_07.jpg
なんと嬉しそうなトーサンであることか。


20100120_05.jpg
「父ちゃん、大好き~~!!」

苛酷な環境の中での労働がトーサンの毎日の全てだ。
これ以上の「救い」があるだろうか。
信仰を持たない我が家であるが、小さな神様は身近にいるのだった。

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[C53] 泣きそうになったよ

なんか、もうこのエントリー何度も読み返しちゃった。泣きそうなんだもん。
本当にそうだよね~。息子は、最終的には「まま、大好き」って言ってくれるもんね。多分、日頃親から理不尽だなあと思うことがあっても、最終的には甘んじて受けてるんだろうなあ。ほんと、子供は小さな神様なんだね。何度も、仕事しながら思い返しちゃった。

しかし、我が夫、今は仕事もひまなんでネット三昧なんだよ。子供んことも、とーさんほど思っているかどうか、いや思ってないような。フラットな男なので、とーさんのようなはじける人がちょっとだけうらやましい。

でも、それでもそんな夫に取っても、息子は小さな神様だと、私は思う。彼に、あんなに無邪気に接するのあの子だけだもん。ね~

かーさん、あなたもきっと一家の神様だよ。

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そうなのだ。子どもほど寛大な人はいない、と常々思うよ。
もちろん、日々こまごまと注意をしたり、小言を言ったりはするんだけど、
私はこの子ほど無条件に相手を許しはしていない、という気がするよ。
恐らく成長するに伴って汚れていって、神様から普通の人間になっていくのだろうけど、
それが社会を渡っていく上では不可欠な「成長」である事は否めないよね。
残念ではある。が無菌状態では脆くて生きられないし。

とまとさんの優しい言葉、嬉しいよ。でも、私は汚れちまったから神様ぢゃあないさ。
母親の役目は汚れ役でもあるのかも、なんて思ったり。
トーサンは汚れていると言うよりは、頓着がないのでキリストっぽいのよね。
とまとさんのご主人はこざっぱりしてるじゃないのさ。羨ましいよ~!!
とまとさんと一晩語り明かせる日が来る事を目標に頑張るよ!
  • 2010-01-27 20:12
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こんな私ですが。

ノーザンカーサン

Author:ノーザンカーサン
イチローが大リーグに行くとほぼ同時に北海道石狩市で新規就農したキリスト(旦那)と共に、悪戦苦闘してきました。イチローがヤンキースに移籍すると時を同じく平飼い・有精卵「イコロラン」の生産を始め、農地で鶏の世話をしております。ここまでイチローイチロー言ってますが、ファンという訳ではありません。
   

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